アラン・ケイという名前を持ち出すだけで、古い人間と呼ばれそうですが、やはりこれらのツールの原点はアラン・ケイの夢の実現にある。
iPhoneやAndroidは便利であるが、その便利さを日々の生活に活用するだけでは便利であることの意味が大きく異なったものとなってしまいます。
やはり、我々が日々行っている活動で、自分たちの限界を超えるための道具として、生きた使い方が出来たときに、アラン・ケイの夢が実現されるのだと思います。
彼がゼロックスのパロアルト研究所で作った「アルト(Alto)」は、アイコンベースのコンピュータでしたが実際には、イーサネットネットワークにつながったコンピュータであり通信機でした。
コンピュータといっても、データを入れたりする入れ物ではなく、人間が使うものということが原点にあり、文書を作ったり、図を書いたり、それを人に送ったり、ファイリングしたりということが得意な事務機であり、逆にデータを入力したりということは得意とするものではなかったのです。
まさに、計算の道具から始まった計算機としてのコンピュータとは原点が異なるのです。
人間の生活を便利にする、我々の活動をサポートする道具としての出発点から、デスクトップにはドキュメントのテンプレートや、ドロワーや、プリンターが置かれ、マウスでそれらのものを開いたり、送ったりする世界がありました。
彼が思い描いていたのが、その様な機能を手のひらの上で実現することでした。
ノートPCでもある程度のことは出来ましたが、人間とのコミュニケーション能力は明らかに違います。
音声を認識し、位置を自ら確認し、自分の置かれた方向や、目の前の画像を認識する能力をもった簡単に持ち運びが可能な機械です。
今や、iPhoneとAndroidは限りなくパソコンに近いことが出来る通信機であり、上記のように多彩なセンサー機能を持っている道具です。
今こそ、アラン・ケイの夢を実現することができる可能性を秘めています。
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